HISTORY

太田邸の歴史

 太田邸は、むかし因幡国(いなばのくに)と呼ばれていた鳥取県東部の山あいの町、八頭(やず)にあります。
 主(あるじ)の太田家は、明治から大正にわたって三代の当主が村長を務めました。また大正期には、敷地の一角に地域第一号の郵便局を開設し、その初代局長に就任しています。さらに広い山林、田畑を所有し、養蚕、家畜の飼育も手がけていました。
 そのように、土地の名家であり、地元産業の中心的存在でもあった太田一族の住まいが太田邸です。

 主屋は明治期に建てられ、随所に拭漆(ふきうるし)で仕上げた建具を用い、精緻な細工を施した調度類を配した贅沢な造りになっています。
 新建(しんだて)と呼ばれる離れは、昭和初期に曹洞宗管長を迎えるために建てられました。主屋とは趣を異にし、素木の良材を多用して、すっきりとしていながらも上質な造りの建物です。
 客を迎える正面の表門に続く門長屋の一角は、大正末期に郵便局開局にあわせて改造されました。当時洋風建築の多かった他局とは異なる和風の外観が目をひきます。

 五代目当主の没後家を守ってきた夫人が亡くなり、太田邸の門はしばらくの間閉ざされたままでした。
 しかし近年になって、「典型的な因幡地方の豪農の近代和風住宅」としてその価値が認められ、2017年に『国登録有形文化財』の認定を受けています。

敷地内にはこれらの建物のほかに数棟の蔵があり、衣裳、屏風・衝立などの調度、組食器や会席用の膳などの漆器類が収められていました。
散逸したり、壊れて失われたものもありますが、大切に守られてきたものも多く残されており、当時の地方有力者の豪奢な暮らしぶりを窺うことができます。

 一方太田邸には、農具、草鞋や蓑笠、蚕から取った糸を紡ぐ糸車などの民具も多く保存されてきました。来客には贅を尽くしたおもてなしをする“ハレ”と、ふだんの質素で実直な暮らしの“ケ”、ここを訪れた人は、その両方を感じることができるでしょう。

気楽さ、便利さばかりを追及しがちな現代の生活の中で、なんとなく息苦しさをおぼえたり、忘れ物をしたような気持になることはありませんか?
そんな時には、どうぞ太田邸に足を運んでみてください。
不便で、ちょっと面倒くさいけれど、ゆったりしていてどことなく安心できる雰囲気、むかし田舎のおばあちゃんの家を訪ねたときのような気持を感じていただけたら、とてもうれしく思います。

皆さまのおいでを心からお待ちしております。